2013年10月10日 星期四

泉州話講古-共皇帝畫像



蒙古國牒狀

蒙古國牒狀

上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王、朕惟自古小國之君
 境土相接、尚務講信修睦、況我
祖宗受天明命、奄有區夏、遐方異
 域、畏威懷徳者、不可悉數、朕即
 位之初、以高麗無辜之民久瘁
 鋒鏑、即令罷兵還其疆域、反其
 旄倪、高麗君臣、感戴來朝、義雖
 君臣、而歡若父子、計
 王之君臣、亦已知之、高麗朕之
 東藩也、日本密迩高麗、開國以
 來、亦時通中國、至於朕躬、而無
 一乘之使以通和好、尚恐
 王國知之未審、故特遣使持書
 布告朕意、冀自今以往、通問結
 好、以相親睦、且聖人以四海為
 家、不相通好、豈一家之理哉、至
 用兵、夫孰所好
 王其圖之、不宣
   至元三年八月 日


宗性筆『蒙古國牒状』(『調伏異朝怨敵抄』より)
南都
東大寺尊勝院所蔵

大蒙古國皇帝奉書


蒙古国書の内容は、次の通りであった。

天の慈しみを受ける
大蒙古国皇帝は書を
 日本国王に奉ず。朕(クビライ)が思うに、いにしえより小国の君主は
 国境が相接していれば、通信し親睦を修めるよう努めるものである。まして我が
祖宗(チンギス・カン)は明らかな天命を受け、区夏(中国)を悉く領有し、遠方の異国にして
 我が威を畏れ、徳に懐く者はその数を知らぬ程である。朕が即位した
 当初、高麗の罪無き民が鋒鏑(戦争)に疲れたので
 命を発し出兵を止めさせ、高麗の領土を還し老人や子供をその地に帰らせた。
 高麗の君臣は感謝し敬い来朝した。義は君臣なりというが
 その歓びは父子のようである。
 この事は王(日本国王)の君臣も知っていることだろう。高麗は朕の
 東藩である。日本は高麗にごく近い。開国以来
 また、時には中国と通交している。朕の代に至ったが
 一度の誼みを通じようという使者もない。なお恐れるは
 王国(日本)はその事を未だ審らかに知らないのではないかと。ゆえに特に使いを遣わして書を持参し
 朕の志を布告させた。願わくは、これ以降、通交を通して誼みを結び
 もって互いに親睦を深めたい。かつ、聖人(皇帝)は四海(天下)をもって
 家となすものである。互いに誼みを通じさせないというのは一家の理と言えるだろうか。
 もって、兵を用いることは誰が好むことであろうか。
 王よ、その点を考慮されよ。不宣。
   至元三年八月

2013年10月9日 星期三

閩南語的聲調


聲調
陰平 陽平 陰上 陽上 陰去 陽去 陰入 陽入
代碼 1 5 2 6 3 7 4 8
tɔŋ1 tɔŋ5 tɔŋ2 tɔŋ6 tɔŋ3 tɔŋ7 tɔk̚4 tɔk̚8
調值 廈門 44 24 53 - 21 22 32 4
22 22 44 - 53 21 4,53 32
臺北 44 24 53 - 11 33 32 4
33 33 44 - 53 11 4 32
臺南 44 23 41 - 21 33 32 44
33 33 44 - 41 21 44 32
漳州 34 13 53 - 21 22 32 121
22 22 34 - 53 22 4,53 22
泉州 33 24 55 22 41 5 24
33 21 35 21 55 22 4,53 21
北馬 44 24 54 - 21 21 21 44
21 21 44 - 44,54 21 44,54 21
汕頭 33 55 52 35 213 22 32 21
33 11 35 11 32 21 4 1

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